少女ポリアンナ物語とポリアンナ症候群

少女ポリアンナ物語とは

アメリカの児童文学作家エレナ・ポーターによって1913年に発表された物語です。
11歳のポリアンナは両親を亡くし(死因不明)、
母方の妹である未婚のポリー伯母さんのもとに引き取られることになりました。
ポリアンナは毎日が充足していた日々ではなかったけれど、その中から見出した、
「うれしい!こと探しゲーム」で、いわゆるポジティブシンキングで生きています。
そのうちその「うれしい!こと探しゲーム」をまちのみんなに知ってもらうことで、
大人たちも考え方を変えて行く。というあらすじです。

例えばですが、「うれしい!こと探しゲーム」の例えとして、
「私はお人形が欲しかったのに、(大人の事情で)松葉杖を贈られてしまったの。その時は残念に思ったけど、松葉杖を使わなくていい生活が送られていることをうれしいと思えばいいの。」
と書かれています。ここで私は二つのマンガを想起しました。

一つは、

です。

祝福屋福助のお決まりの言葉は、「自分は自分で祝福できない。」
浮浪雲のある回で、「身近な人の死などで、悲しいことが(ある宗教の教義によって)悲しいと素直に思えなくなる。」
そんなのはおかしい。というものです(正確な表現ではありませんし、掲載された回は分かりません)。

無論お国柄も違いますし、宗教的な一面があるかも知れませんし、
ポジティブシンキングだけで物事が全て解決するとも申し上げるつもりはありません。
上記の二つのマンガにはその回答となるべきものは示されていませんが、私の記憶に残っているのですから、
それはそれで何かに引っ掛かったということでしょう。

ポリアンナ症候群とは

ウィキペディアを見る限り、
・「題の良い部分だけを見て自己満足してしまう」
・「現状より悪い状況を考え、今そうなっていないことに満足しようとする」
という、誰でもやりそうな「現実逃避の一種の心的症状」と書かれています。

この物語の根本的なキモとしては、”「うれしい!こと探しゲーム」を通して、周りの人間関係に良い影響を与える人間になる。”
と言うことであって、心理学にどうたらという些末的な考察はどうでもいいと言うことです。

総括

ポリアンナ物語と先の二つのマンガのどっちが正しいとかどっちが間違っているとか言う問題ではなく、
人間、時には自分自身の気持ちの切り替えが必要であり、
「自分は自分で祝福できない。」と決め台詞を投げかけられたら、「そうとも言い切れない。」と言えますし、
「身近な人の死などで、悲しいことが(あるポジティブシンキング宗教の教義によって)悲しいと素直に思えなくなる。
そんなのはおかしい。」と投げかけられたら、「じゃあいつまで引きずるのか?」と逆に聞きたくなります。

それであったら少女ポリアンナに書かれているような「うれしい!こと探しゲーム」の様な行動をして、
日々それを日記などに書き溜めて行く。という、回答が示されているものの方が、
ただマンガや心理学で考察や批判で終わるよりも、参考になるのではないかと思うのです。

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